
おはようございます。
今朝はPC立ち上げたら2時間半の更新プログラム起動されてしまい、図書館から借りた本が読めた(笑)
本のタイトルは「こころに響いた、あのひと言」という本。
沢山の人達の思い出となる一言について1800文字程度で書かれている。
その中に高橋治さんの「知るということはり」がある。
昭和25年の卒業の時、老教授の別れの言葉が記されている。
それは、遺言に通じる別れの言葉。
一学年論語、二学年孟子、三学年荘子という順で解釈を加えて教えてくれた。
変化もすくなく熱の入らない講義は生徒30人とってはお昼寝タイム。
遺言は穏やな語り口で伝えられた。
「私は三年間で三冊の古典の入り口まで諸君をご案内した。
しかし、その知識と、この程度の勉強で、三冊のほんの一部でも知ったと思う人がいたとすれば、
それは大変傲慢だと思うのです。
・・・・・で、これからが遺言の部分なのですが、知るということはどんなことなのか。
私は三年間諸君を知る方向に導いたようですが、なんのことはない。
いかに知らないかということを教えたに過ぎなかったのです。
ですから、講義中の行儀の悪さなど、知らなかったと思えばすむことなのです。」
「いかに知らないかということを教えたに過ぎなかった」を教えるって凄い。
このクラスは大学(旧金沢大学)の最低、最悪のクラスだといわれていた。
老教授のお陰かこのクラスから大学教授が10名、大学学長2名。
そして、おどろくほど篤い友情、交流を保った仲間たちでした。
もちろん、集まった時の話題は老教授の話が必ず出たとの事。
なんか・・・・上手く説明できないけど本物の尊敬できる先生って感じです。
PC更新プログラムでの2時間半は無駄ではなかったと感謝してしまいました(笑)