いつも自分でいること・・・・・・
あたりまえのようで意外にできない。
理由は簡単、周りに「どう見られているか?」が
気になり他人の評価基準で自分をみせようとする。
他人の評価基準は体に合わない服をきるようなもの。
だから・・・苦しい。
昔は・・・・・
タオを体得した人がいて
それは、神秘的で、暗く、遠く、すべてに通じているようで・・・・
測りようのない深さだったらしい。
【態度は慎重。
危険な冬の川を渡る人のように。
用心深く、知らない森を通る人のように。
落ち着いて油断しない。】と
ここまで読むと、根暗で臆病者に思えるが・・・・・最後が違う。
『それでいて・・・・人と交わるときには、
氷が融けてゆくような滑らかさ。
その素朴な様子は、山から伐りだされた白木のように。
心の広さや、大きな谷を感じさせる・・・』
濁った水のようであり、
濁ったままゆったりしているから
いつしか澄んだ水となる。
古いものをいつしか新しいものに変化してゆく。
だから・・・いつも「自分」でいられる(笑)